こんにちは!スキマです。
ラグビーワールドカップ2019でトライを量産し、大活躍したラグビー日本代表の福岡堅樹選手が目指していたラグビー7人制でのオリンピック代表を断念することとなりました。オリンピック断念の理由はラグビーワールドカップ2019から表明していた、医学部進学を目指すためです。
15人制と7人制のラグビー日本代表は引退しますので、もう桜のジャージ姿の福岡選手を観ることはできません。残念ですね。しかし2021年1月の開幕を検討している来季のトップリーグでは、プレーをする予定とのことです!福岡選手のプレーが観れるのは少し安心ですね。できれば長くラグビーを続けてほしいと勝手に思ってしまうのが、ラグビーファンの気持ちです。福岡選手に限らず、7人制ラグビーや他の競技でも1年間の延期が引退、断念のきっかけになった選手たちは特にベテラン勢で多かったです。
オリンピックで福岡選手のプレーが観れないのは、とても残念です。しかしトップ選手として活躍した後に、夢に向かって挑戦する福岡選手を応援したいです。とても立派なことだと思います。
アマチュア時代のラグビー

ラグビーがプロ化になる前の時代、1990年前後の代表選手たちはみなアマチュア選手でした。平日は仕事をし、週末には所属するクラブチームでプレーし、その中でもうまい選手が国代表選手としてプレーするという流れでした。
第2回ラグビーワールドカップ1991はイングランドで開催されました。その当時のイングランド代表選手の中には、警察官、弁護士、陸軍のパイロットと様々な職業の選手がいました。昔からイングランドではラグビーは上流階級のスポーツとされていました。私立の学校における秋冬シーズンのメインスポーツはラグビー、公立の学校における秋冬シーズンのメインスポーツはサッカーでした。「何のスポーツをしているの?」と聞くと、どのような育ち方をしているのかがわかると言われていました。文武両方が教育方針になります。スポーツもシーズンによってメインスポーツが変わります。よって秋冬はラグビー、春夏はクリケットと複数のスポーツで活躍する選手は多かったです。
プロ選手引退後の職業

トップアスリートとして活躍した後、セカンドキャリアで華やかな職業に就かれた選手もいます。プロ野球の元広島のホプキンス選手は福岡選手と同じく医者です。80年レークプラシッド冬季オリンピックのスピードスケート金メダリストのハイデン選手も医者です。96年アトランタオリンピックの競泳女子3種リレー金メダリストのトンプソン選手も医者と、オリンピック選手から医者になるルートがありますね。日本でも元Jリーガーの八十選手は弁護士、元プロ野球選手の奥村選手は公認会計士と輝かしいキャリアです。
それぞれの選手たちは、どのようなきっかけでトップアスリートになった後、難関と言われる資格を取得し、そのようなキャリアを歩んだのか興味があります。また別の機会に紹介していければと思います。
まとめ

日本中を感動に包み、ラグビーワールドカップで活躍した福岡選手へ感謝の気持ちを伝えたいです。オリンピックでのプレーが観れないのは本当に残念ですが、医学部を目指す志を応援したいと思います。
福岡堅樹選手、ありがとうございました!頑張ってください!!
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